国語の勉強の仕方がわからないという生徒は非常に多くいます。「日本語だからやらなくてもなんとかなる」「センスが物を言うから、やっても伸びるかわからない」と勘違いしている生徒も少なくありません。これは大間違いです。
国語とは、活字から論理を理解したり、経験していない世界を作り上げるもの。しかし、そういった経験が、今の生徒たちには圧倒的に足りていません。アニメやゲーム、YouTubeなど映像から理解することに慣れていて、漫画を読む読解力さえ落ちてきているとも言われています。
学習指導要領の改定で「論理国語」が登場したことも、国語は論理の科目であることがようやく広まってきたことの現れと言えるでしょう。これまでのような「習うより慣れよ」で教えるのではなく、低学年の段階から論理を体系的に教えていくことが求められます。
論理力と日常的な日本語の運用能力とは異なる
論理力と日常的な日本語の運用能力は別物です。「日本語だからなんとなかる」と考えている生徒には、その認識を改めさせる必要があります。
日常的な日本語の運用は、相手がいることが前提。ちゃんと伝えられなくても、相手が察してくれるから不自由はしません。一方、国語の問題文はどうでしょうか。読み手は不特定多数の他者。そのため、読み間違いが起こらないように論理的に書かれていることが求められます。読む側は、筆者の立てた筋道(=論理)を追っていかなければなりません。
これは、日常的な日本語の運用ではなんとなく受け取っても相手が修正したり、補ったりしてくれるのとは大きく異なりま文章は長ければ長いほど、意味や情報が多くなり、頭の中がカオスになります。そのカオスを論理的に整理し、明晰な状態を目指さなければいけません。
NGな読み方は、かろうじて理解できる具体例部分や、選択肢をヒントになんとなくわかったつもりになる自分勝手な解釈を行うこと。そうではなく、文章の規則を着眼点に、主観ではなく客観的に筋道を押さえることが重要です。
論理力を鍛えることは、受験はもちろん、その後の人生にも効果を発揮する一生涯の武器を手に入れることです。論理的に読めれば、論理的に考える思考力や、論理的に話す力、書く力も身につきます。これは、今の生徒の多くが大学受験で受ける推薦入試に効果を発揮するだけでなく、多くのバックグラウンドの違う他者と暮らし、働くこれからの未来社会でも大きな武器となる力です。国語力を鍛えることは、変化の時代をしっかり生き抜ける力を手に入れることとも言えるもの。国語を通して、本質的な教育ができると考えられるのではないでしょうか。
ぜひ小学校のうちから倫理力・国語力を鍛えていきましょう。